夫の育休、ほろにが回想録

夫の育休、ほろにが回想録

夫の育休を妻目線で振り返りました。15分読み切り型です。

夫の育休誤算3 「ママじゃなきゃ」なんとかなる

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(子を愛でるタロウ氏)


「子供たちがパパっ子になっても平静を失うまい」
職場復帰前、夫に子供たちを託す前に私が唯一しっかりと覚悟していたのがこれでした。



子供たち、特に人見知りが始まる頃のナツコが私の手を振り払い、パパを後追いする姿なんかをできるだけリアルに想像して、

心を痛めながらもそれはそれでいいことなんだと言い聞かせようと心に決めておりました。


が、


そんな覚悟は検討違いと徐々に悟っていきました。



私が帰宅すると
イチロとナツコが涙目で駆け寄ってくる背後で
夫が放心状態の日々。。。


決して夫が子供を邪険にあつかっていたわけではないんです。。


日中どれだけ子供たちと過ごしても、
なかなか思い通りにいかない、
泣きやまない子供たちと過ごした夫も辛かっただろうと思います。。



ただ帰宅早々息つく間もなく二人を抱える私もなかなかにしんどくて、

泣きわめく子供と放心した無言の夫に迎えられる毎日が続くと、

まるで日中ずっとそんな状態が続いているような、自分がいけないことをしているような気分で、
「私がいないとダメなのね♪うふ」
みたいな気持ちにはとてもなれず。




足早に帰る私を駆り立てたのは一種の恐怖みたいなものでした。



早く帰らないと、3人を目の前にしないと、
いつの間にか何かが壊れてしまうんじゃないか、
何もなくても、このままタロウが家族を益々嫌いになっていくんじゃないかと怯えてました。


ナツコの泣き声がタロウを追い詰めて理性のたがを外しやしないかと、
親子の悲しいニュースを観るたび不安でした。



足早に帰り、
今日も泣いてるだろうか泣いてるのは一人かな二人かな三人かなと占うような気持ちで玄関をあけ、

まれに笑顔で迎えられるとおみくじで大吉を引いたような気持ちでした。



しんどいなか最後まで理性を保ち
子供たちに手をあげなかったタロウ氏には感謝してます。本当に。

頭痛がするほど辛い泣き声のなか理性を保つのは
簡単じゃないです。



これが我が家の場合でした。



ただ時間がたった今、
ママじゃなきゃダメだった、のか?と

改めて考えてみると、
もしかしたら違うかも、とも思うんです。


当時はそう思ってました。
やっぱりこの年頃の子供はママじゃないとダメなんだ、と。


でも今は
私がもっと夫と子供たちの時間を尊重してたらもうちょいうまくいったのかもしれないなー
と、思い始めてます。



私が中途半端に夕方早く帰ったりしたから、
夜は私が子供を全て引き受けたから、
それがかえって子供たちにとって私が離れがたいものにしてしまったのかなーと。



「夫のストレス低減と子供たちへの愛情」
なんて勝手な使命感で
夜は子供たちを夫から引き離してあげた気になっていたけれど、

もしかしたら、私がそう思いたかっただけなのかもしれないなーと。



どこに行ってもひとりぼっちで手応えのない日々だったけど、

子供たちだけは私がだっこすれば笑ってくれた、
おっぱいあげれば満足気な顔をしてくれた。

パパっ子になる覚悟をしてたつもりが、
結局は子供たちに必要とされたくて、
私は大事なことを見落としたのかもしれないなーと。



一年近くがたった今、
自らパパに寄り添う子供たち
喜んで私をおいてパパとお出掛けに向かう子供たち
パパの帰りが遅いと心配する子供たちをみていると

あの4ヶ月、大人たちにはわからなかったけど、
子供たちのなかでは確実に
パパへの信頼が築かれていたんだろうなぁと感じてます。



それでもやっぱり、手放すのはむずかしいんですよね。。
共働き生活が軌道にのると、週末は子供と過ごす大事な時間。

夫にとれば私がいない方がより子供たちが寄り添ってくれて居心地いいし、

そういう時間が多い方が子供と夫の信頼関係構築に役立つんだろうと頭では理解しつつ、

家族四人仲良く過ごす時間がほしいとか
ご近所の目(あそこの奥さんは子供を旦那に預けて遊んでる、と思われやしないか、、とか)が気になる、とか

私なりの見栄や欲もあってこのあたりのバランスは今も悩みながら日々を過ごしてます。


どうして休日に見かけるよそのお家は買い物だけでも楽しそうにみんなで寄り添って過ごしてるんだろうと羨望の眼差しで遠くをみる日々です。