夫の育休、ほろにが回想録

夫の育休、ほろにが回想録

夫の育休を妻目線で振り返りました。15分読み切り型です。

夫の育休番外編3 公共の場で涙する親子にできそうなこと

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(移動中暇そうな妻に図形問題を差し出す理系男子タロウ)


公共の場で泣き叫ぶ子供に部外者ができることはなにか、というテーマで先日Twitterが盛り上がっていました。



私もいっちょまえに(ドキドキしながら)便乗して「話しかけて親の緊張を解くのが一番」的なツイートをしてみました。

でも本当は自分が全然できていないという後ろめたさがありました。


今日はその後ろめたさを払い除けるべく、正直なエピソードと、
それを通して(特に日本で)子育て親子がいかに近付き難いかを説明し、
子連れや妊婦さんに寛容な世の中を目指して私たちができそうなこと、をひそやかに提案できたらと思います。




つい先日出張で新幹線にのりました。

しっかり指定席を確保し、車内でパソコン広げて仕事する気マンマンで乗り込みました。


すると通路挟んだ同じ列にどうみても我が子と同世代(3歳男児)を連れた母子が乗り込み、会話から察するに目的地も同じ駅の模様。


正直ガックリしました。
せっかく隣に人がいない席を選んだのに、これじゃ積み残しの仕事に集中できるか雲行き怪しいぞと。


案の定、最初は母子で楽しそうにしていたものの、すぐに子供がグズグズ言い始め。

iPadでトーマス観とき!」という母に
iPadのトーマスは変だ、観たくない!」と主張する子供。


外から見ると、どっちの気持ちもよくわかる。。
お出かけに連れていってあげてるんだから移動中くらいそっとしててほしい母。
トーマスが観たいんじゃなくてママに構ってほしい子供。



わかる、私もよくあるこういうこと。
わかってる、部外者が使える無敵の一言「お子さんおいくつなんですか?」で一瞬その場が静まること。


わかってたけど私はしばらく無視してました。
なんならイヤホンつけてなんとか仕事に集中しようとしてました。


20~30分たっても子供は泣き止まず、近くに座っていたサラリーマン風の男性があからさまに席を移動し始めた頃、私は朝のタスクに一区切りつき、それでもその母子に声をかけるか悩んでました。


なぜかというと、
そのお母さんが若くてちょっとギャルっぽい、綺麗な人だったからです。


私よりも絶対に若い、ショートパンツに艶々の髪、爪も綺麗に仕上げてました。


仮に同世代だったとしても、仮に同じクラスにいても、私になんか目もくれないであろうキラキラした感じの人でした。


他方こちらは寝坊気味で化粧もソコソコ、地味なスーツに身を固めたOLです。


完全に気後れしてました。
できれば話しかける前にこのぎゃん泣きが終息しないかと願ってました。


それでもやっぱり見ていられず、
最後は「さっきこのお母さんは子供がこぼしたパンくずを丁寧に拾っていたから怖くない」と3回くらい自分に言い聞かせてようやく

「お子さんおいくつですか?」と話しかけました。


想定通り(?)、大人の会話はあまり盛り上がらずでしたが、子供は母親の気持ちが和らいだ(よそゆきの顔になった)のに安心して、後は目的地まで機嫌良くYouTubeみてました。


話しかけたら予想通り子供も泣き止みハッピーエンド、という点はどうでも良くて、ここで強調したいのは

同世代の子供を持つ私でさえ、やらなきゃいけない仕事があると、子供の相席をハズレくじだと一瞬思い、


一言話しかければほぼ確実に子供の気が散り泣き止むことを知っていた(それに助けられてきた)私でさえ、そのお母さんが自分と違うオーラをまとったひとだというだけで、一言話しかけるのに相当な勇気を必要とした、という点です。


いわんや子育てしたことない人たちをや、と。。



少し話がずれますが、
上の子イチロの出産前~しばらく住んでいたアメリカ(のとある街)は、妊婦や子連れに寛容で、なんのてらいもなく話しかけてくれたり、時には荷物を持ってくれたり、涙するイチロをあやしてくれたり、挙げればキリがないほどに随分いい思いをしながら子育て前半を過ごしました。


明らかに子育て経験のなさそうな学生さんや、
会社員風の人や、レジのお姉さんなどなど、
手を差し伸べてくれる人に決まったルールはありませんでした。


どうして彼等はあんなにも気軽に、躊躇いなく手を差し伸べてくれたのだろうか、と振り返ると
アメリカ人が優しいから」ではなく、
「彼等がそう育てられてきたから」だと思うのです。


それはマナー教育という形ではなく、
たぶん幼い彼等がグズっているとき、話しかけてくれる見知らぬオジサンオバサンがいた、だとか
見知らぬ妊婦さんに手を差し伸べる自分の親を見てきた、だとか、そういうことなのではないかと推測します。



かたや私も含め多くの日本人は「公共の場では何があろうと静かにおとなしく」としつけられてきているわけです。
見知らぬ人に不用意に声をかけることを厳しく律されているわけです。



忙しい、子育て世代と話が合わぬ、子供の接し方よくわからん、子供にまつわる悲しい思い出がある、など固有の理由もあると思いますが、何より慣れてない、下手したらマナー違反かもしれないことをする、ことへのハードルが日本ではすごく高いと思います。



だから「子供が泣きわめいてるときは⚫⚫してくれたら助かります」なんて
ネット上でいくら話題になろうが、
それをやってみようと勇気を出す人はほとんどいないだろうなと思います。



そしてこういう論争がいつまでも終息しないのは、子育て世代は子育て世代の仲間内で、そうだよね、わかってくれずひどいよね、とわかりあった感や世間に一石を投じた感を共有し、そうじゃない人たちはまた別の論法でわかりあっちゃうからいつまでも平行線なんだろうなと。



私のブログを読んでくださる数少ない読者の方々は、殆ど全員子育て世代ではないかと推測します。


だから子育て仲間の皆様にひそやかな呼びかけを。


今、目の前の、子連れや妊婦さんに不寛容(に見える)人たちを糾弾するのはやめませんか?
その方々にもそれなりの事情や思いがあるはずなので。


それよりも、自分の子供たち、もしくは「手を差し伸べたいけどどうしていいかわからない」という人たちに、「こうすればいいんだよ!」と背中で語るような気持ちで毎日を過ごしませんか?


何をするかは個人の自由、自分が子連れのときにしてもらって嬉しいことをすれば良いと思います。


今は少し肩身が狭くても、私たちの行動のひとつひとつが次の世代、より子育てしやすい未来の社会に向けたバトンパスになると信じたいです。



特に自分が子連れじゃないときや、仕事モードの時はそこそこハードル高いですが。

もし共感してくださる方いれば、ぜひ一緒に、がんばりましょうー